たぴ岡文庫

今宵も語る、どこかの誰かの物語

小説「貴女だけが救い」

うつ病や死を仄めかす表現がございます。ご注意ください。

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 あぁ、もう薬が切れてしまった。何をする気力もない。ベッドから起き上がることも、追加の薬をもらうために病院に行くこともできやしない。今受信した連絡を見ることだって、できないんだ。

 今度、薬が切れたらしようと決めていたことがある。まぁ、しかし、何度もそう言って失敗してきているのだが。きっと、今度こそは上手くやるさ。

 ただぐったりと寝転がったまま、天井だけを見つめる。なんだか眠たくなってきた。全てを捨てて、永遠に寝てしまいたい。こんなこと、誰にも言えないけど。

 僕の眠気を飛ばしたのは、急に来た電話だった。ゆっくりとスマホに手を伸ばし、画面を覗く。

「ん、こんなときに……」

 急いで笑顔を作る。別に電話なんだから顔なんて関係ないのだけど、それでも、笑顔でいないと、僕の秘密が漏れ出てしまいそうで、全部が溢れて壊れてしまいそうで。それが怖くて。

『あー、もう! 何回も連絡してるのになんで返信してくれないの!』

 いつも通りの耳をつんざくような甲高くて大きな彼女の声に、何となく安心する。しかし、それと同時に寂しさも感じる。何故かはわからないけど。

「あはは、ごめんごめん。さっきまで勉強しててさ」

 嘘だけど。

 もし彼女が僕の嘘に気付いても、変わらずに接してくれるのだろうか。もしかしたら、もうこんな簡単なことには気付いているのかもしれない。彼女が優しいから、僕は甘えてしまっているんだ。

『まぁ、それならいいんだけどね……』

 恐怖すら覚える静寂がひとつ。なんだか嫌な予感がする。

『あのさ、最近――』

「ん?」

 彼女の辛そうな声が本題を始めた。聞きたくない一心で一文字発したが、それがまた良くなかったかもしれない。

『最近、元気ないよね。何か、あったのかなって』

 喉に石が詰まっているみたいで、思うように発声できない。苦しい。息ができない。

『えっ、どうしたの、過呼吸? 落ち着いて、思いっきり吐いて、それからゆっくり吸って……ほら』

「ご、ごめん、ほんとに、ごめん」

 いつの間にか涙が溢れていた。怖くてたまらなかったから。いや、それだけじゃない。とてつもなく温かいものに触れてしまったから。これだと、さっきの決心も揺らいでしまいそうだ。

『お、落ち着いた……?』

「ごめんね、本当に。ちょっと、ノイローゼになってたみたいで」

『そっかそっか。いや、そういうこともあるよね。頼ってくれても別にいいんだよ? 私、何でも聞くからね』

 彼女を選んで良かったと思うことはこれまでに何度だってあった。けれど、これほどまでにそう思ったことはなかったかもしれない。だからこそ辛い。

「うん、本当にありがとう。でもね、もう大丈夫、大丈夫なんだよ」

 少し黙ってから、彼女は苦笑い気味に言う。

『んー、嘘は良くないなぁ。キミね、実は嘘つくの下手なんだよ。何かあったなら、私じゃなくても誰かに言った方がいいんだからね。ほら、私、怒っちゃうよ?』

「えへへ、ごめんってば」

 あぁ、そんなことまで、僕のために? やめてくれ。それが、親切が重くのしかかってくるんだよ。こんな僕のためにそんなことまでしないでくれよ。でも、わかってるんだ。本当は言った方がいいんだろうな、ってことなんて。やっぱり、最後まで嘘をつき通すのは、彼女に悪い気がしてきた。

「本当はこれ、言わないつもりだったんだけどなぁ」

『ん、どんな話?』

 いつもの何倍も優しい声。どうしてそんな。僕に優しくなんてしないでくれ。

「えっと、僕ね……あぁ、緊張してきた」

『大丈夫だよ。どんなことでも受け止めるから、絶対』

「うん、ありがとう」

 息を整えてから、ゆっくりと口を開く。

「僕ね、ビョウキなんだ。ウツビョウって知ってるでしょ?」

 間があく。

 そうだよ。何でも受け入れられるなんて、そんな訳ないんだ。放っといてくれ。きっとそっちの方が気も楽なんだから。もう助かりたいなんて願ったりしないから。

『そう、そうだったんだ。そっか、そうだよね。ごめんね』

「いや、僕こそごめん。ちょっと、重い話だったね」

『ううん、話してくれてありがとう。私にできることなら……いや、違うかな。きっと、キミは私がこうやって接してるのも嫌なんだよね』

「どうして……」

『いや、本当にごめん。私、こんなに出しゃばるんじゃなかったな。知識がないからさ、どうしたらいいかわかんないんだよね』

 いつも笑っているはずの彼女が、冷静に真剣に考えてくれているらしい。そんなに僕のことを思いやったりしないでくれ。やめてくれ。言うんじゃなかった。喉の石は大きくなっていく。

「えへへ、ごめん。聞かなかったことにして? ほら、僕も話さなかったことにするから、ね?」

『そんなの――』

「んじゃ!」

 話を続けようとする彼女の声も聞かずに、思い切って電話を切る。もう何もかもが嫌で嫌で仕方ないんだ、ごめんね。

 通話したがる彼女の音が、脳内でぐるぐる回る。彼女の気持ちが僕の目を眩ませるんだ。腹の中で何かが暴れているのを感じながら。

 そうか、じゃあ今にしよう。決行するべきは、幸せで幸せで、でも辛くてたまらない今なんだ。そうしよう。机に乗り、それを掴む。

「はは、いざとなるとちょっと怖いんだね」

 首にかける。

「ごめんね。でもね、大好きだったよ」

 とぶ。

「さよなら」