たぴ岡文庫

今宵も語る、どこかの誰かの物語

小説「エンドレスゲーム」

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 夢を見た。まるで世界が終わるみたいな、そんな夢。

 俺はとてつもなく広い草原に一人で立っていて、周りには何もない。こんなこと有り得るのかってくらい雲ひとつない晴天。何となく転がりたくもなるような、最高の天気だった。しばらく気持ちのいい風に当たっていたが、気が付くともう夕方になっている。

 突然、赤く染まりつつある地平線が壊れ始めたのが視界に入る。ジグソーパズルが崩れていくような、そんな感じ。逃げなくちゃいけないのに、恐怖で動けない。いや、これは恐怖のせいかどうか、明確にわかるわけじゃないんだけど。夢だし。

 ただ壊れていく世界を見つめているだけで、俺は何も出来ない。救おうとすることも、逃げることも許されない。

 足元のパズルが壊れ始める頃、俺の腕が力強く引かれた。

「何してんの、早く逃げないと死ぬよ!」

 その声は、どちらかと言うとか細い女性のそれに似ている。それに今俺を引っ張っているこの手も、すぐ折れてしまいそうなくらい細くて綺麗だ。

 訳がわからず、その人の力に従う。

 

「あのねぇ、あんなところにいたら大崩壊に巻き込まれて死ぬところだったのよ?」

 彼女の拠点と思しき洞窟に着くや否や、怒ったような口調でそう言われた。

 冷静になってから彼女を見てみると、とびきり美人だった。伸びきった金髪に、整った顔、スタイルもいい。もしかするとモデルか何かなのかもしれない。いや、何度も言うがこれは俺の夢であって、この女性が実在するかどうかはわからないのだが。

「だ、ダイホウカイ?」

 素直に疑問を口にした。

 大崩壊なんて、夢の中でも外でも聞いたことがない。まぁ、お気に入りのあのゲームに出てきた「大崩壊」なら知っている訳だが、今はきっとそんなものは関係ない。

「はあ? アンタ、ここに住んでてそんなことも覚えられないわけ? もう手に負えないわよ……」

 彼女はやれやれ、と首を振って見せた。睨むようにして俺の方を向いた彼女は、渋々といった感じで口を再び開く。

「大崩壊っていうのはね──」

 

 と、ここで俺の目は覚めたのだ。なんだか中途半端で続きが気になる。夢なんて今までどうでもいいと思っていた。ハッキリと覚えていることもなかった。こんなアニメみたいな夢を見たことなんて、これまでになかったんだ。

 何かの前兆か? いや、そんな訳はない。そんな非科学的な、非現実的なことは有り得ないし、俺は信じない。そういう人間だ。

 何とも不思議な気持ちで地下鉄に乗り込む。この感覚があの夢のせいなのか、それとも未だ夢の中にいるからなのか。俺としては、この座席がこんなにも現実味を帯びているのだから、後者ではないと確信しているのだが。

「ちょっと、聞いてるの?」

 聞き覚えのある声が、頭上からふわりと届いて来る。おい、待てよ? この声は……

「大崩壊の話、どこまで聞いてた?」

 やっぱりそうだ。また夢の世界に来たんだ。ということは、つまり、地下鉄の中で寝落ちでもしたか? それは困るな。遅刻なんてしたら上司にどやされる。しかし、今朝の続きが見られるなら、それでもいいか。俺の運は尽きたかもしれないな。

「ねぇ、アタシ質問してるんだけど?」

「あ、あぁ、すまない。もう一度最初からお願い出来るか?」

「はぁ、やっぱり何も聞いてなかったのね。今度こそもう二度と話さないから、ちゃんと聞いてなさいよ」

 彼女は俺の目の前にゆっくりと座り、お茶を差し出した。このお茶を見て今気付いたのだが、ここはもう地下鉄ではないらしい。彼女が俺を救ってくれたあの拠点、あの洞窟のようだ。

「まずは、あー、その……オヒサマ、って信じてる?」

 彼女は実に言いにくそうに言葉を並べていった。怯えているような、警戒しているような。しかし、何と言うか、事務的でもあった。勘違いかもしれないが。

「お日様? 太陽のことか? 信じるも何も──」

「しーっ! ちょっと、そんな大声でそれを呼ばないでよ、何考えてるの。タイヨウキョウだと思われるわよ」

「た、タイヨウキョウ……」

 彼女は周りに人がいないことを確認し、声を潜めて話を続けた。

「簡単に説明すると、その、タイヨウがこの世界の大崩壊を引き起こしてるの。つまりタイヨウキョウっていうのは、あー、崩壊こそが神の思し召しだ、救済なんだって信じてる馬鹿げた宗教のことね」

 彼女曰く、大崩壊が起きる理由はわからないものの、太陽の光が原因であることは間違いないらしい。また、太陽教は大崩壊の際に毎回生贄を差し出し、神への信仰を証明しているんだとか。

 生贄など出すのは良くないと主張する彼女は、説得を試みているようだ。しかし、太陽教は耳をかそうともしない。逆に非太陽教の人間たちを生贄にすべく、捕らえることを始めたと言う。

 ここまで聞いて、俺はこれが夢であることを思い出す。いやいや、ただのゲームのやりすぎでこんな夢を見ているだけだ。ってことは、少しゲーム時間を減らすことも考えた方が良さそうだな。

「あー、じゃあ、なんでこの洞窟は崩壊に巻き込まれないんだ?」

「当たり前でしょ? 今日の大崩壊の範囲はここを含まないの。知らないの? 今回は北の大草原だけよ」

 このゲーム世界は全くご都合主義だな。まぁ、これは俺が創り上げている夢な訳だから、俺の世界がそうだってことになるんだけど。

 しかし色々な新常識が頭の中を渦巻いていて、頭痛がしてきた。よくもまぁ、こんな世界で生きていられるな。いや、そうか。全部俺の妄想か。もうこんがらがってきた。

 

『終点、終点。降り口は左側です、開くドア、足元にご注意ください』

 機械的なアナウンスが耳に届き、ハッとする。ほら、やっぱり夢だった。でも、本当に夢なのか? いやいや、何を言っているんだ。あんなものは夢に決まっている。そうでないとおかしい。そうでないと、おかしいんだよ。

 いや、しかし待てよ。アナウンスは何と言った? 終点だって?

「三つ寝過ごしてるじゃんか……」

 

 少し整理しよう。この夢の中の世界では、大崩壊が起きている。うん、ただそれだけだ。整理が必要なのはこっちじゃない。

 地下鉄で寝過ごしたのは三駅。まぁ、地下鉄だし三駅なんだから大丈夫だろう。なんて考えは甘い。

 朝からあんな面白い、じゃなかった、変な夢を見せられたんだ。寝坊していない訳がないだろう。いつもより三十分程遅く起きた。それに加えて、何だ? 三駅逃した? いつもなら、次の電車はすぐ来る、それに十分もすれば目的の駅にも着く、なんて思考になるのだが、しかし今回は違うという訳だ。

 あぁ、これは遅刻だな。やっぱり上司に怒られるの確定だよ。

 とりあえず外に出よう。そうすれば、きっとすぐそこにタクシーがあるはずだ。会社まで走ってもらうとなると、だいぶ財布が可哀想なものだが、それはもう致し方ない。

 地上を目指して階段を駆け上る。

 風を感じ始めてから、何かが引っかかる。おかしくはないか? あの車両には沢山の人間がいたはずだ。確かに俺は見た。出勤中のおじさんだとか、登校中の若い子たちだとか、色とりどりの人間たちがいたはずだろう?

 なら、何故今はいない?

 目の前には確かにタクシーがある。バス停もある。駐輪場には自転車だってある。しかし、どこを見ても人間はいない。いつも通りの景色からただ、人間だけが抜き取られている。

 振り返ると、駅がボロボロと崩れていっているのが見えた。この崩れ方、見覚えがある。

 ──大崩壊だ。

 俺は大急ぎで闇から逃げ出す。巻き込まれれば死ぬ。一度でも転べば、俺は、死ぬ。まぁ、彼女が真実を言っていたのであれば、だが。

 いや、しかし待てよ。これは俺の夢なんだろう? じゃあ、俺自身も崩壊することで、この悪夢から抜けられるんじゃないのか? そう思い、立ち止まる。

 もういいんだ。現実から逃げたいからってこんな夢に浸っているのも、もうやめよう。ほら、目を覚まさなくちゃ。俺を待っているのは、もしかしたら幸せな生活かもしれないじゃないか。

「わはは、そうだろうとも!」

 その声は初めて聞くものであるはずだが、何となく、昔から知っているような気がした。見上げると、その言葉の主は太陽を背に浮いている。宗教画のようなこの光景は、自分が今どこにいるのかを見失わせた。

 時が止まってしまったのか、大崩壊は歩みを進めようとはしない。彼女が太陽教の教祖、とか?

「君は、誰なんだ?」

 そう言うと、彼女は手を叩いて大笑いした。

「答えようがない。うむ、強いて言うなら、お前にとってのメフィストフェレスだ」

「つまり、悪魔ってことか?」

「わはは! わからんなら気にするな」

 彼女の顔から、先程までの笑いが消え失せる。今は冷酷で、氷の女王のような。

「──まぁ、そんなことなどどうでもよいわ。そんなに死にたいのなら巻き込まれて消えろ。それが元よりのわしの願いだ」

 パンッ、とひとつ手を鳴らす。それが合図なのか、大崩壊はまた俺を追いかけ始める。もうダメだ。諦めかけたとき、俺の手は誰かに引かれた。

 いや、これは正確な言葉じゃないな。本当は誰も俺の手なんか引いちゃいなかった。俺をまた走らせたのは、生きたいという強い思い。

「おやおや、これでも逃げるのか。わっはっは! 腕の見せどころだな」

 後ろから迫る光は強くなっていき、闇は濃くなっていく。自分がどこに向かってどこを走っているのかなんて、もうわからない。ただひとつわかっているのは、真後ろにいる恐怖から逃げなきゃならないってことだけ。

 がむしゃらに走る。ひたすらに走る。走って走って、走る。

 やっと、やっとゴールが見えてきた。初めてこの世界へ来たとき、金髪美女が連れてきてくれたあの洞窟。彼女がこちらを見て微笑んでいる。これで解放される。これでもう終わりだ。そう思ってしまったのが悪かった。

 油断したのだ。俺は足元に落ちていた小石に気付かなかった。

「愚かな人間、愛しき人間! わしの勝ちだ!」

 一瞬のうちに、全身が崩壊の光に包まれた。

 俺自身もすぐに崩れ去るものかと思っていたが、そうではないらしい。視界が悪いとは言えど目は見えるし、ノイズだらけだが音も聞こえる。

 微笑みの美人は、その表情を怒りのものへと変えた。俺のために、怒ってくれているのか? と思ったが、どうも違うらしい。

「はぁー、何度やってもコイツはダメみたいね」

 どういうことだ。彼女は俺の味方じゃなかったのか? いやそれより、何度やってもと言ったのか?

「いひひ、今回もわしの勝ちだな」

「というより、アンタね、同じ人間でやるならそりゃ結果は変わりっこないわよ」

 何を言っているんだ? 二人は俺で何をしていた?

「何を言うか、お前だってこの前遂に十八勝目を迎えたじゃないか」

「何よ、八十回以上勝っておいて。このアタシをバカにしてるの?」

 あぁ、そうか、思い出した。俺は遊びのコマであって、何度もここで死を迎えているんだった。この二人の会話によれば、百回近くこのゲームを繰り返しているってことか。いや、まだ続くのはわかっているが、この現実を突きつけられると、正直キツい。

 俺にとっての問題は、生きるか死ぬか、それじゃないんだ。

「そんな訳なかろう。ほれ、次の賭けではどっちが勝つだろうね」

「いいわ、今度こそ反則になってでも勝ってやるんだから」

「わはは! いいぞ、次はわしも本気だ。じゃあ、リスタートと行こうか」

 

 目を覚ますとそこはとてつもなく広い草原で、周りには何もない。終わりなんてないことを思わせられる。永遠にも似たこの景色の中、自分しかいないことを痛感する。

 しばらく風に当たっていると、赤く染まりつつある地平線から順に崩壊が始まった。ジグソーパズルが崩れていくような、そんな感じ。

 目を凝らして見れば、そこには一人の女性がいることがわかる。彼女の表情は逆光で見えない。ただ笑っているのだろうと、そう思う。足元のパズルが崩れ始める頃、腕を引かれた。

「何してんの、早く逃げないと死ぬわよ!」

 永遠に繰り返す。終わりなどない。逃げ場などないのだ。