たぴ岡文庫

今宵も語る、どこかの誰かの物語

小説「世界」

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 今日も世界は終わっていく。茜色に染まった空の端から、じわじわと燃えて灰になる。ただの人間である私たちは、それを見ていることしかできない。世界が終わるのを止める術なんてない。

「午後六時をお知らせします」なんて声を毎日テレビやラジオなんかで聞くようになった。これはつまり、今日はあと一時間しか残されていませんよ、という意味だ。毎日午後七時になれば世界は終わるのだから。

 十年前、世界の終わりを初めて体感した私たちは、集団で同じ夢を見ただけなのかと勘違いした。さすがに一週間も同じことを全世界が繰り返していたら、これは現実であると気付ける。

 科学者は努めて原因を解明しようとし、不可能を知り、そして絶望した。そういえば、あれは傑作だった。画面の向こうで有名な科学者が泣きながら「私たちはこの終焉のループから抜け出せません。申し訳ございません」なんて叫んでいたあのショーは。

 あれ以来、人間は好き勝手生活するようになった。どうせループするんだから、どうせ今日も世界は終わるのだから、そう言って。ある女は愛しい人に告白し、ある男は欲しいものを欲しいだけ購入し、ある子どもはいじめっ子に殴りかかり、ある年寄りは杖を投げ捨てて走り回った。そしてまた『今日』を迎えた。

 しかし私は気付いた。『ひとつ前の今日』で失くしたものや埋めたもの、壊したものは『今日』も失われているし埋められているし、壊れている。完全なループという訳ではないらしい。私の身体も着実に老いていっているのだろう。昨日まで見えていた看板が見えなくなっていた。

 しかしもうひとつ私は気付いた。人間は例外なのだと。もしあの建物の屋上にいる人が今飛び降りたとしても、彼はまた『次の今日』も生きる。あの路地裏にいる刃物を持った女がしっかりと相手の心臓を突いたとしても、被害者は生き返る。とにかく、人為的な死は神が認めてくれないらしい。病死や衰弱死なんかは私の興味を引かないのでよく知らないが。

 だからこの『今日』も私は考える。どの方法で死を選べば、神に抗えるのか。どうしたら神を殺せるのか。

 こんなことを言うなんて、昔は思わなかった。熱心なキリスト教徒ではないにせよ、「神を殺す」なんて罰当たりにもほどがある。だけど、きっとこれが正攻法だ。この狂った現状から脱出するためには、神を殺す必要がある。私は確信している。

 罪だ何だと言われようが関係ない。私は私の生きる道を作りたい、それだけ。

 

せ【世界】彼は私たちを見捨てる

 

カクヨムせ【世界】 - 五十音短編集(たぴ岡) - カクヨム (kakuyomu.jp)